みなさんの声 エネルギーワーク科-10

子宮体ガン、女性、40代、主婦

治療内容:エネルギーワーク
初回来院: 2000年6月(女性、40代)
受信: 2000年8月

最後にヒーリングを受けさせていただいた翌日 東京のT大学病院へ行ってみようと考え、夫の運転する車に乗り高速道路を走りました。 しかしながら、数日前に大量出血があった身体なので 車に酔ってしまい 30分ほどで 具合が悪くなってしまいました。 結局東京の病院へは行くことができなかったので 以前診断された病院ではない もうひとつの大きな病院である 地元のY病院の外来をたずねることにしました。
「今ガンはどうなっていますか?」と。
4月の時点で中期といわれたガンが この病院のさらなる検査で以前MRI映像に比べ ガンが大きくなってしまっていたこと 進行性のガンに変化してしまっていることを診断されました。
そこの婦人科の医師は 外国での治療経験の豊富な腫瘍専門の医師であり 私たち夫婦の話にも耳を傾けてくれて 不安な点には なんでも丁寧に答えてくれました。
「すぐに対応するから まかせてほしい。」といわれたので お願いする事にして 即日入院しました。 ガンが大きくなっているようなので ひとまず覚悟して入院・手術でした。

病名は子宮体ガン、今回たずねた病院の検査結果はクラス5Aであり 進行性のガンと診断。 前に手術を受けようとしていた6月時点ではクラス3Bで まだ進行性のガンではありませんでした。 私は7/27に手術を受けました。
子宮・卵巣・リンパの切除手術。
私が手術する当日は 病院手術室の外の廊下には 十数年交流のなかった 私の父・私の妹夫妻と子・夫・私の2人の子たちがいました。 皆 四国や北海道から駆けつけてくれました。 病院も私の家から30分くらいのところでしたので 彼らは 前日に私の家に泊まり 夫の手料理を食べて 夫の運転する車でみんなで 病院へやってきました。

今回の入院がガンであることを 交流を途絶えていた親族。 親戚中に電話で連絡しました。
「私はガンだからみんなに治るように祈ってほしい。」と。
すぐに顔を見るために尋ねてきたのが 交流の10年なかった私の妹でした。 結局 私の入院中は長女が 私の妹の家へ行き 長男は私の父の家にいきました。
あっという間に皆がまるくつながってしまいました。 交流が10年間まったくなかった事実なんて あっという間にかき消えて今毎日のように 連絡を取り合える仲に変化しました。 皆が口をそろえていう言葉は「ガンが私たちをつなげてくれた よかった よかった」といっています。
前の病院入院中に不安のかたまりになって甲状腺の病気になっていた長女は 今回は症状も出ず 生活を送ることができました。
夫は 親族のありがたみを感じてくれて 今回の病院の医師とはコミュニケーションもうまくとれたので色々な事に納得してくれています。
手術を受ける当日に これで 今回のヒーリングで出てきていた宿題が 全部終了していたような気がします。
手術一週間後に切除物の病理検査評価がでました。
でも、今までの診断とは違い ガンが変化していたようです。
極初期のガンとの判断に変わりました。
転移の心配はなく 追加治療の必要もなく 手術後2週間で退院となりました。 子宮筋腫の人たちと同じように 短期入院で終了してしまいました。
医師によると これで終了だそうです。 もちろん定期検診は続けていくことになっていますが。

私にとってのガンはひとまず終了したようです。
私がヒーリングセンターを尋ねた理由である このガンは どんな意味があるかの問いかけは 答えがでたようです。
でも、これからの経験を通して 私の人生の意味を もっとよく考えていきたいと思っています。 ヒーリングの意味・ヒーリングと出会った意味などを。

よくありがちな ヒーリングを受けたのに手術になったなどという考え方は 夫にも私にもありません。 最後にヒーリングを受けた日の夜・数日は 混乱もありましたが。
いま私達は 波動水も漢方もヒーリングも皆すべて意味があったと感じています。
カイロプラクティックの須藤先生と久枝先生には大変感謝しています。
ここまで導いてくださり ありがとうございます。
すぐに会いに行きたいと思うのですが
退院できたとはいえ 手術を受けて お腹を切ったので まだ 電車に乗れるほど体力が戻りません。 回復したらヒーリングセンターにも行きたいと思います。

 

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